プロフ その2(1979~1980)

石巻のサーフィンの歴史は意外と古く、1960年代にエンドレスサマーを上映した年、石巻の大先輩が外国人にサーフボードを輸入してもらったのが始まりです。
東北では2番目だったそうで、山形県湯沢の人が1番早く、その人にサーフボードにWAXを塗る事を教わったと聞きました。
1970年代に入ると石巻にフリーダムサーフショップが出来、石巻オリジナルのフリーダムサーフボードやグラスファイバーのスケートボードも作っていたそうです。その後フラワートップサーフショップが出来てオーナーの自宅脇の倉庫で石巻オリジナルのFOCUSサーフボードを作っていたそうです。
サーフトリップも盛んに行われており、北は青森県、南は福島県までありとあらゆるポイントを開拓していったそうです。
そのおかげでどのサーフポイントに行っても、「石巻から来た」と言うだけでと快く歓迎して頂きました。
昔、その頃撮った8mmを観せてもらった事があり、地元のビッグウエーブ、本州最北端のサーフトリップ、スケートボードやオフロードバイク、現在のおしゃれなサーフ・ムービーと代わらないくらいクオリティの高いサーフ・ムービーでした。
サーファー自らサーフボードを作ったり、革細工のお店、カフェなど好きな仕事をしたり、好きな時に好きなだけサーフィンをして、アートをこよなく愛し、俗世間には染まらないヒッピー文化が根付いていた街だったのかもしれません。

12月に入り、流石に半袖タッパーで海に入るのは身の危険を感じ、海に入るのは諦め、中学校1年生から始めたスケートボードで練習してました。スケートボードを始めるキッカケもやはり映画w。1978年に上映された「ボーイズ・ボーイズ」です。もちろんそれまで実際にスケートボードを見たこともなく、始めは拾ってきた板切れに戸車を4つ付けてガラガラ滑ってました。真っ直ぐしか走らず曲がれませんでしたが・・・w。その後、サーフショップでスケートボードが売っている事を知り見に行きました。ALVAやSIMSの板、クリプト二クスのウィール、高額すぎて手が出ませんでした・・。町のスポーツ店に安いスケートボードが入荷したと聞き、そこで購入。グラスファイバー製で[HOBIE]と書いてありました。今考えるとその時期はHOBIE・USAが倒産していた頃なので、その質流れ品だったのかな〜と思っています。その頃のスケートボードはシールドベアリングではなかったので滑っているとボールベアリングが抜けてよく自転車屋にベアリングを買いに行った記憶があります。

中学3年生、受験生になりましたが、サーフィン熱はさらにエスカレート。
サーフショップ・オーナーがやっている喫茶店に飾ってあった石巻オリジナルのFOCUSサーフボードをオーナーの好意により1万円で譲って頂きました。
今でも忘れられないファースト・ボード。長さ182cm幅53cm厚さ7cmくらい。デザインはジェームス・ジョーンズ風でバナナフィンのグラスオン・シングルフィン、テールが絞ってあるピンテールでした。
身体が小さかった私は片手でボードを持つとき腕が回らず、よく自転車で運んでいる途中に何回も落とした記憶があります。
受験勉強もせず、毎日のように海に通いました。私がサーフィンしていたポイントは通称Gポイントと言って何故か毎日出来るくらいの波はありました。そのGポイントが埋め立てられてから「フラット」と言う言葉を知ったくらい波があったと記憶しています。
冬に入り、どうしても冬にサーフィンがしたかったのでウエットスーツを購入する事にしました。石巻にはウエットスーツの工場もあり、そこでオーダーしました。5mmのスキン・フルスーツ、デザインは自由だったので脇マチと膝をジャージ素材に、サイズ・カラーフルオーダーで¥25,000!まさか10年後にこのウエットスーツ工場に就職するとは思わずに・・・w
寒さを凌ぐための焚き火でウエットスーツの膝下、お尻はカリカリに壊れ、その穴から入ってくる海水が冷たくて、寒いと言うより激痛だったことも覚えています。w
石巻メイドのサーフボードに、石巻メイドのウエットスーツ。ヒッピーでジャンキーな先輩達。ある意味、良い時代にサーフィンを始めたのかもしれません。
高校受験も志望校に無事入学でき、高校生活は夢のサーフィン三昧か!?  つづく