プロフ その4(1984~1990)

1984年、サーフボードはトライフィンが定着し、4フィンが発売されましたが完成度が低く今のように定着はしませんでした。
ウエットスーツはよりデザイン性が高くなり、この頃から細かいパーツを使ったデザインが主流になり始めました。
この年にアップルコンピューターがマッキントッシュを発表。日本でも「これからは一家に一台コンピューターの時代が来る」とマスメディアの文言を信じて、コンピューターの専門学校に進学。いざコンピューターの専門学校に入ってみるとその当時はコンピューターと言うより電算機といった大きなマシンしかありませんでした。COBOL(プログラミング言語)やフローチャートをひたすら勉強する日々、今でもウエットスーツの開発をする時にフローチャートの考え方が生かされております。
高校3年間、サーフィンをやり尽くした感があり、刺激が足りなくなっていた時期にスケートボードメーカーのパウエル・ペラルタ社から「The Bones Brigade Video Show」というスケートボードのVTRが出て、日本では第3次スケートボード・ブームが巻き起こり、興味はサーフィンからスケートボードに移行していきました。
サーフショップのオーナーを説得し資金を出してもらいスケートボード・バンクを作製。海外の雑誌を参考に作りましたが高さがないのにアールがバーティカルなので殺人的で危険なバンクでしたw。後日、スケートボードのディストロビューターに聞いた所、東北初のバンクだったそうです。その数年後、各地のサーフショップでランページが作られましたが、知識が少なかった為、危険なバーティカル・ランページで怪我人が続出しました。波があればサーフィン、波がなければスケートボードの毎日。専門学校を卒業する前くらいにはサーフショップで店番のバイトをしていました。
1985年、サーフショップのオーナーが仙台に輸入雑貨店をオープンすることになり、好きで古着や輸入雑貨を独学で勉強していた事もあり、そのまま輸入雑貨店に就職。仙台に引越して新たな生活が始まり、1年後にはLAに買い付けに行き憧れだったアメリカの文化を体験させて頂きました。その当時、VANS(スケートシューズ)が東北では販売していなくて、VANS・USAに直接オーダーして販売もしました。当時、細かいカスタム・オーダーが出来る時代で生地をテディベアにしてソール上帯はチェックのプリントなど、世界で1つだけのVANSを作れた時代でした。
大好きなスケートボードの事が詳しくなり、その後スケートボードのディストロビューターに転職。企画書を書いて仙台駅前のデパート屋上に東北初のコーピング付きミニランプを作製。この頃からサーフィンは年に数回しかやらなくなってしまい、どっぷりスケートボードの毎日。
その後1990年、結婚して地元の石巻に帰るまでの5年間はサーフィンをあまりしない「サーフィン空白の5年間」になりました。
「サーフィン空白の5年間」の間に石巻ではマハロサーフショップがなくなり、FOCUSサーフショップや、Rocksサーフショップが誕生し、石巻メイド、オリジナルRocksサーフボードがローカル達に好まれました。つづく